2005/09/14

幸福とは?

先日、Blue Noteへ行った。普段は、もっぱら小学生の頃から収集してきた古いレコードや、CDを自室で聴いているのだが、たまにはライヴもよいものである。

今回の主題は「幸福」。Blue Noteのライヴでピアニストが「幸福の三原則」というものを話していた。曰く、自分を信じること、周りを愛すること、夢を持ち続けること、だそうである。この三原則から私が思い浮かべる歌がある。Smile、What a wonderful world、I can see clearly nowの三曲である。Smileはチャプリンの「モダンタイムズ」のテーマ曲である。What a wonderful worldはほとんどの方が一度は耳にしたことがあるであろう。Louis Armstrongの十八番である。I can see clearly nowは映画「クール・ランニング」に使われている曲。じめじめメソメソした要素皆無のスカッとした歌である。三曲ともメロディもさることながら、単純明快な詩がとてもいい。元気づけられる。

さて、実際に何が人を幸福にするのであろうか?社会心理学研究では、ある程度の答えが示されている。幸福感と最も強く相関する因子は、自律(自分が何をするかを自分で決めることができる)、他者・社会のために役立つことができる、他者との親密な関係、自尊心の四要素だそうだ。このうち、最も強く幸福感と相関するのは、米国では自尊心、韓国では他者との親密な関係だという。ただし、自尊心と幸福感が相関しない場合があり、楽観的な生活態度であれば自尊心が低くても幸福感を持てるという報告もある。そして、経済的豊かさは幸福感とあまり相関しないことも明らかにされている。これらの研究結果を見てみると、前述の三原則はかなり真実を穿っているものであることが分かる。自分を信じ、周りを愛し、夢を持ち続けられる人はやはり幸せなのである。離婚はライフイベントの中でも最もストレスの大きい出来事の一つであり、離婚して不幸感を持つ人も多いであろう。しかし、本当に離婚が人を不幸にするのであろうか?離婚しても、楽観的に希望を持って生きるという態度を持ち、自律的に行動し、社会の役に立つ仕事や活動ができ、親しい人間関係を維持し、自尊心を持つことができれば、不幸ではなかろう。離婚直後からこのような態度で生きることは至極困難なことである。しかし離婚というストレスにどっぷり浸るのではなく、うまく処理し早く切り抜けるよう努め、幸福感を持って生きられるようになりたいものである。ともあれ、離婚が不幸の原因だと考えている人は、一度自分を振り返ってみるべきであろう。現在までに蓄積されている心理学的知見から導き出される幸せへ至る道は、「幸福の三原則」を実践し、過去の結婚生活に拘泥せず未来志向で生きることである。子供と会えずにいる親たちには難しいかもしれない。しかし、幸福とは恵まれた人の特権ではなく、自分で心がければある程度確立できる「心の癖」なのである。

 
2005/09/23

当サイトを開設して一年余りが経過しました。今回はこれまでの雑感について、対談形式でお送りします。

M このサイトはTさんの別居および離婚調停に端を発して開設され、私は情報収集と翻訳を主にお手伝いしてきました。その私が言うのもなんですが、このサイト、字が多くて無愛想ですね。離婚で落ち込んでいる人が読むにはしんどすぎる、というか。

T 分かりやすさ、ということは全く心がけていないからね。正確さと分かりやすさは並び立たないことが多いんだよ。その代わり、感情や好悪による独断を排し、客観的な情報を出来る限り正確に伝えるということには腐心しているつもりだけど。

M 確かに、ネット上に溢れている離婚関連サイトの中には個人的経験や感情を普遍化して表現しているものもたくさんありますよね。その中で、「離婚と子供」の特徴を一言で表すならば、求道者的自己抑制、とでも言えましょうか。

T 求道者・・・。そんな大層なものじゃないと思いますが。まぁ、意見や異論はたくさんあるだろうけど、離婚というのは人を見る目がなかった、つまり人生における失敗ということだから、自分は「ダメ人間」だということを自覚して子供の利益を中心に据えて考える姿勢というのは大切だと思うよ。

M 「ダメ人間」ね。ダメさ加減にもいろいろありますよね。「私はもちろん子供のことを一番に考えています」と言いながら、非同居親に子供を会わせていないことを我々に肯定させようと個人的な経験を長々と書きつづったメールが頻繁に送られてきます。こういう人たちって、結局自分の気が済むことが第一優先課題であって、自分の気が済む状況下でなければ子供を非同居親に会わせることはできない、自分の気が済まなければ子供にも悪影響だ、と言って憚らないような雰囲気ですよね。私はこういう手合いが最もmalignantだと思います。何者かわかったもんじゃない見ず知らずの我々に、子供を会わせていないことを肯定させようと躍起になるということが、宗教的な暗い情熱を感じて、私、恐怖です。

T 一人一人にそれぞれ固有の事情や体験や感情があって、時にはそれに翻弄されることもあるだろうから仕方ないとは思うけどね。ただ、日本の傾向として、非常に母性原理の強い社会であることというのは離婚後の子育てのあり方を考える上で留意すべき点だね。母性原理が強いというのは「母が強い」とか「女が強い」というものではなくて、ユングの言う、グレートマザー的なものが男女問わず一人一人の無意識を強く支配しているという意味ですが。

M そうですね。離婚後の父母の争いようは、一例一例が個別的であるように見えながら、その実、多くの事例を知ると、どれもがよく似ているように思われます。ユング心理学の視点から離婚を分析してみると、そこから日本社会の特徴が見えてくるようです。私は読者からのメールを読むとき、書かれている事柄について実務的に読みとるではなく、そのメールを送り主が書いているという事実にのみ着目しています。ユングの概念や、アドラーの概念を使って読み解いてみると興味は尽きません。

T 「自分の気が済まなければ子供にも悪影響だ」という意味の言葉が何の不自然さもなく発せられ、そしてこの言葉に対し多くの人が異を唱えない、むしろ社会的には肯定的に捉えられるという背景には、やはりグレートマザーの否定的側面があると考えざるを得ないね。グレートマザーの否定的側面とは、すべてを呑み込み死に至らしめる、ということであり、さっきMさんの言った「宗教的な暗い情熱」というのもグレートマザーの特徴の一つだね。グレートマザーに取り憑かれた親は子供を独立した人格として考えられないし、自分の満足や自分が必要とするものと、子供の満足や子供が必要とするものを分離して考えることができない。だから、「子供のためを思うなら」、日常的に子供を育てている同居親である「私の気持ち」を尊重せよ、というような倒錯した無神経な発言が出るんだろうな。しかし、そういう親に無神経だ、と言っても、それこそ「暗い宗教的情熱」をもって、自分は子供を一番大事に思っている、子供ためと思って我慢もしているし犠牲も払っていると頑強に言い張るだろうね。

M まぁ、知性がある人なら、心理学的視点、社会学的視点から問題点を指摘しても、それなりに分かってくれると思いますが。やはり、離婚とか子育てに直面していなくても、生きていく上で、「知は力なり」、と私は思います。離婚に際して、親が心理的葛藤を感じるのは当然です。しかしそんなことは、それぞれが自分で落とし前をつけるべきものです。困難な問題にであったとき、教養や知性というものはとても頼もしい味方になります。やっぱり勉強って大事だと思いますよ。何歳になっても勉強ですよ、人生は。

T Mさんは女性でありながら、というのは語弊があるかもしれないけど、知的怠慢を忌み嫌ってるからねぇ。衆院選が終わるなり、「大衆の反逆」に依拠して現代日本批判を繰り広げる妙齢の女性ってあんまりいないと思うよ。「女王の教室」の天海祐希に似てるね。

M 天海祐希ですか。おそれいります。あ、そうそう、「女王の教室」については、言いたいことがあります。グレートマザーが猛威をふるっている日本の状況だからこそ、それが反転してああいうものが求められ高視聴率を得るのです。人間って案外、バランスを取ろうとするんですよね。しかし、そういう試みは大抵挫折したり、結局はグレートマザーの手のひらで踊っているだけだったりもするんですが。ともかくあのドラマは父なるものの欠如している日本社会という視点から見てみるのも一興かと思います。続編とか映画化の話しもあるそうですし。

T そろそろ、まとめますか。子供は自分が必要とするものを理解することも主張することも困難な存在であり、また子供が自分に関わる問題を把握し、解決の方策を見いだしたり得たりすることはほとんど不可能なんだ、っていう認識はみんなに持ってもらいたいね。子供は親とは独立した存在なのだという基本的理念が現在の日本の行政や立法には欠けています。行政や立法でさえ、グレートマザー的なものに呑み込まれ、親が子供を自分の所有物のように扱っていてもそのことに気づきもしないでその横暴をゆるしてしまっているように感じられます。せめて当事者以外の関係者には、理性や知性を取り戻してほしいものです。